
宜保聡 作 紅型の半幅帯
北海道と沖縄。
日本の北と南、遠く離れた土地です。
始まりは、とてもシンプルなものでした。
作り手と直接つながることができたら、
お客様にもっと適正な価格で、本当に良いものをご紹介できるのではないか。
そう考えたのです。
まず最初に思い描いたのは、
紅型の半幅帯でした。
なぜ? 紅型の半幅帯だったのか。
それは、私自身が欲しかったからです。
けれど当時は、なかなか思うようなものが見つかりませんでした。
どこにもないのなら、それなら作っていただこう。
そう思ったら、 まずは言葉にしてみよう。
そこでご紹介いただいたのが、
紅型作家の宜保聡さんです。
ここから、おてしおと沖縄の染と織との長いお付き合いが始まりました。
続きます。
今回の「かなさ綾布展 夏をまとう布」の作品をご紹介しています。
宜保さんの作品は、こちらからからご覧いただけます。

2010年の「Coralway」表紙にのびちゃんがいます。
ご紹介いただいたのが、宜保聡さんでした。
初めてお会いした頃、宜保さんのお子さんはまだ一歳になったばかりで、もう…可愛い盛り!犬の、のびちゃんもいました。
今思えば、宜保さんご自身も新しいことに挑戦したい時だったのかもしれません。
私の「紅型の半幅帯が欲しい」という、今思うとずいぶん無謀なお願いを、本当に気持ちよく引き受けてくださいました。
そしてもうひとつ。
北海道の「おてしお」で展示会をしてほしい。
そのお願いも快く受けてくださいました。
当時は、まさか毎年開催で、17回も続くとは思っていませんでした。
一年に一度。
作品が届き、お客様にご覧いただき、また次の一年へ。
その積み重ねが、気がつけば今年で17回という時間になっていました。
でも振り返ると、すべてはここから始まり、今にいたるように思います。
宜保聡さん、宜保理英さん、との出会い。
沖縄への旅。
工房を訪ねた時間。
そして、お客様とのご縁。
あの時、たくさんお世話になった方々がいなければ、今のおてしおに沖縄の染と織はありませんでした。
私にとって沖縄の作品は、商品というより、人とのご縁から始まったものなのです。
今回の「かなさ綾布展 夏をまとう布」の作品をご紹介しています。
宜保さんの作品は、こちらからからご覧いただけます。

otshioで初めて開催した。宜保聡さんの展示会(2009年)
2009年5月
おてしおで初めて開催した、
宜保聡さんの展示会の時の写真です。
今の宜保さんしか知らない方には、きっと信じられないと思います。
写真を見ると、
二人とも緊張が顔に出ていますね。
展示会の間、
宜保さんはほとんど話をしませんでした。
お客様が作品を手に取り、
「これが良いですね」「欲しいです」と言ってくださっても、
「本当にいいんですか?」などと言い出す始末。
今思えば、完全に営業妨害です(笑)。
人見知り全開でした。
それが今では、
「おしゃべり乙女おじさん」として、確固たる地位を築いています。
人は変わるものですね。
そんな宜保さんとの展示会を重ねるうちに、
私はまた無謀なお願いをしました。
沖縄の染があるなら、
やっぱり織も必要でしょう。
今考えると、ずいぶん強引な話です。
すると宜保さんが、「それなら会ってほしい人がいます」と紹介してくださったのが、
南風原の丸正織物工房、大城幸司さんでした。
この出会いが、
おてしおにとって新しいご縁の始まりになりました。
続く…

たくさんの壁上布を見て、驚いている私!
いよいよ、大城幸司さんの登場です。
初めてお会いしたのは、
糸満にある宜保聡さんの工房でした。
その日、大城さんはたくさんのダンボールを抱えてやって来ました。
そして、その中から次々と出てきたのが、
壁上布と呼ばれる織物の数々でした。
当時のおてしおでは、
古い着物も扱っていました。
そのため私にとって壁上布は、
「壁紗」という名前の方が馴染みがあり、
もう作られていない織物だと思っていたのです。
「壁紗ですね」と、言うと
今度は、大城さんが驚いた顔で
「知っているんですね」と、おっしゃいました。
お互いに、本当に驚きました。
憧れの「壁紗」が、今まさに織られている壁上布が
まるで当たり前のようにダンボールの中から現れるのです。
お話をうかがうと、
「昔からずっと作っていますよ」
とのこと。
私にとっては、
宝物の詰まった箱を開けるような時間でした。
そして、その場で
「ぜひ、おてしおで展示会をしてください」
とお願いしたのは、
言うまでもありません。
この出会いが、
おてしおにとって沖縄の織との新しいご縁の始まりとなりました。

大切に残している壁上布。お二人の名前が記されています。
丸正織物工房三代目の大城幸司さん。
東京でアパレルの仕事を経験したあと、
沖縄へ戻り家業を継がれました。
私が出会った頃は、
工房を継いでまだ数年ほどだったと思います。
ちょうどリーマンショックの影響もあり、
着物業界全体が厳しい時代でした。
工房の仕事だけでは生活が成り立たず、
早朝のアルバイトをしながら織物づくりを続けていたそうです。
当時は初代の大城敏さんもご健在でした。
大城さんはよく、
「オバァからいろいろ教えてもらっているんですよ」
とうれしそうに話していました。
受け継がれてきた技術を学びながら、
自分自身の織物も模索している。
そんな姿がとても印象的でした。
そしてある時、
「アルバイトを辞めることができました」
と、大城さんから電話をいただきました。
大城さんは覚えていないかもしれませんが、
私はその電話が本当にうれしかったことを今でも覚えています。
作り手が織物だけで生きていくことが、どれほど大変なことか。
今もそのことは変わらないと思っています。
だからこそ、
あの電話は私にとって特別な出来事でした。
今振り返ると、
この頃からすでに大城さんは、
自分の織物を作ろうとしていたのかもしれません。
そして丸正織物工房の織物は、
少しずつ変わっていきます。
私もまた、
その変化を楽しみに見続けることになりました。
おてしおの72候 「小暑」でも、大城さんの着物と宜保さんの帯をご紹介しています。

宜保聡さんの紅型の帯と丸正織物工房の壁上布
oteshioで沖縄の染と織の展示会を続ける中で、
少しずつお客様との風景も変わってきました。
回を重ねるごとに、
うれしいことが増えていきました。
それは、お買い上げいただいた着物や帯を身につけて、
展示会へ来てくださる方が増えたことです。
宜保さんの紅型。
大城さんの壁上布。
そしてmarumas.fabの織物。
前の年に選んでいただいたものを身につけて、
会場へ足を運んでくださる。
私はもちろんうれしいのですが、
実は作り手のお二人も、とてもうれしそうなのです。
作り手にとって、
実際に着姿を見ることは特別なことです。
工房で生まれた作品が、
誰かに選ばれ、
暮らしの中で使われ、
その姿を目の前で見ることができる。
それは決して当たり前のことではありません。
北海道と沖縄。
遠く離れた場所ですが、
お客様が着て来てくださることで、
作り手とお客様がつながっていく。
その光景を、
私は何度も見てきました。
今思うと、
この展示会を育ててくださったのは、
お客様だったのです。
私が良いと思ったものを信じてくださり、
実際に手に取り、
大切に着続けてくださる。
その積み重ねがあったからこそ、
今まで続いてきたのだと思います。
今年もまた、
そんな景色に出会えることを楽しみにしています。
続く…
2014年に刊行しました、おてしおの「日本のおしゃれ72候」にも掲載しております。



